2010年07月23日
柳のようにしなやかに
風に吹かれる柳のように
決して風に逆らわず
風がやまれば、もとに戻る

気に入らぬ風もあろうに柳哉
江戸時代の仙厓(せんがい)和尚という人の禅画
昨日、金沢翔子さんのこと検索していて、何気にでてきたこの言葉と画。
”堪忍,許すということはこだわりを手放し,自分を自由にしてくれる。”
(引用 http://love.iinokai.com/?day=20080905)
通学の満員電車が苦手で気分が悪くなることが多いお子様。
どうしても、特急で行くことが多くなって。
そしたら、
「ま~た 特急でいって~。よっぽど お金があるんやな~」
なんて言葉が耳に入ってくるんだって。
どうして人の世はこんなんだろう。
確かに特急で行くことのできるお金があるということ。
だけど、その分、他の事で、倹約してるんだけどさ。
人の口に戸は立てられない。
嫌だといっても、そういった類の言葉、なくなることはない。
願わくば、そんな言葉
柳のようにふわ~っと、受け流す術を身に付けてほしい。
どなたかのブログに
命があるだけで有難い的なこと書かれてあった。
ほんとにそう思う。
そこに君がいるだけで、
生きていることのありがたさ。
決して風に逆らわず
風がやまれば、もとに戻る

気に入らぬ風もあろうに柳哉
江戸時代の仙厓(せんがい)和尚という人の禅画
昨日、金沢翔子さんのこと検索していて、何気にでてきたこの言葉と画。
”堪忍,許すということはこだわりを手放し,自分を自由にしてくれる。”
(引用 http://love.iinokai.com/?day=20080905)
通学の満員電車が苦手で気分が悪くなることが多いお子様。
どうしても、特急で行くことが多くなって。
そしたら、
「ま~た 特急でいって~。よっぽど お金があるんやな~」
なんて言葉が耳に入ってくるんだって。
どうして人の世はこんなんだろう。
確かに特急で行くことのできるお金があるということ。
だけど、その分、他の事で、倹約してるんだけどさ。
人の口に戸は立てられない。
嫌だといっても、そういった類の言葉、なくなることはない。
願わくば、そんな言葉
柳のようにふわ~っと、受け流す術を身に付けてほしい。
どなたかのブログに
命があるだけで有難い的なこと書かれてあった。
ほんとにそう思う。
そこに君がいるだけで、
生きていることのありがたさ。
2010年07月23日
金沢翔子さん
たまたま、子供がつけていたTV
アンビリーバブー?で、
金沢翔子さんという方のこと、流れていました。
はじめ画面に出てきたこの書

目を奪われてしまいました。
この書、なんとかというお寺で
この絵と

飾られているそうです。
金沢翔子さんという方、ダウン症とのこと。
お母さんは、それを知ったとき、死ぬことばかり考えていたそう。
TVでは、お母さんと翔子さん、そして亡くなったお父さんのことなどなど
今までの人生を紹介していました。
(以下 2009年2月25日 読売新聞の記事から)
母と二人三脚で書道家の道を歩む、ダウン症の書家・金澤翔子さん(23)。個展を年に数回開き、活躍の場を広げている。力強い線、躍動感のある書が会場を埋め尽くし、涙を流す来場者の姿も――。
昨年12月、銀座松坂屋で開かれた翔子さんの個展には、全国から約2000人が来場した。翔子さんは受付を務めながら、来場者に駆け寄って作品の解説をし、握手し、名刺を渡すなど動き回る。作品を見て、涙する人も見られた。
翔子さんは1986年、ダウン症という知的障害をもって生まれた。母の泰子さん(65)は、障害者を生んだという自責の念に苦しんだ。「子どもに将来を望んでもかなわない。希望がないから育てられないと思いました」と、当時を振り返る。
5歳の時、普通校に通うことが決まった。泰子さんは、翔子さんに友達を作ろうと書道教室を開く。これをきっかけに、翔子さんは書道を始めた。
10歳になり、担任の先生から「身障者学校に移って欲しい」と告げられた。その言葉にショックを受けた泰子さんは、翔子さんに般若心経を書かせた。泣きながら書くこともあったが、最後まで投げ出さずに1000文字以上の大作を書き上げた。「翔子には、私たちにない能力があると感じました。これが翔子の本質だと気づくと、考え方が変わりました」と泰子さん。
その4年後に亡くなった父・裕さんとの約束で、翔子さんは20歳の時に初の個展を開き、大作を披露した。個展後は、柳田流の家元に月3回、一人で通い、書を学んでいる。
泰子さんの子育ては、プラス面をのばし、マイナス面は切り捨てる。「計算はいまだに出来ません。出来ないことを一生懸命させてもストレスになるから切り捨てます。出来たら褒めて達成感を与え、自信を付けさせて、できることを増やします。その繰り返しです」
教育のテーマは「自立」だ。「私が死んでからのことを想定しています。私がいなくなったら一人。周りに迷惑をかけないように自立させなければなりません」と泰子さん。20歳までに買い物ができ、手紙が書けるようにする、という目標を立てた。今は1000円を持って買い物ができ、意思が伝えられる手紙が書けるという。
4人の生徒から始まった書道教室には現在、160人の生徒が通う。翔子さんは、泰子さんと共に書道教室で指導に携わる。
今の目標は、3年に一度は大きな個展を開くこと。泰子さんは「障害者の励みになり、希望を与えられれば」と話している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ピアニストの辻井 伸之さんもそうですが、子育てにおいて、母親の役割というものを改めて考えさせられました。
金沢翔子さんのお母さん、書の右上がりの概念を覚えさせるため、坂道を何度も歩き、また、並行という概念を覚えさせるために、線路を・・ というように、頭では理解できなくても、体で理解させようとしたとのことです。
子供の自主性ももちろん大切だけれども、道をつけ、それを引き伸ばしていく環境を整えることも大切なことですね。
20歳での個展の後、お母様の言葉。
「この個展を開いた最大の収穫は、実は翔子の長年の爪かみが止んだことなのです。どんなにしてもやめられず、いつも爪がボロボロだったのはやはり心に満たされぬものがあったのでしょう。でもそれがピタリと止んだのは、自分が認められたという自信が、翔子を変えたのだと思います」
我が家の娘も、同じ。
ダウン症であろうがなかろうが、心に感じていることは、きっと同じ。
自分が認められたという自信、自分が自分であることの自信、あるがままの自分をそのまま受け入れること
いつか そんな日が来ることを願っています。
今までいろいろな習い事通わせて
スイミングにピアノに・・・・
その中で、不思議と今まで続いているのが 習字。
だけど、その習字というか書道の世界も大人の思惑でうんざりする面がたくさん。
子供もそれに巻き込まれて、かわいそうと思うときもあった。
私の無知のため、書にも古典とか前衛とかあるの 知らなかった。
それでまた、まわりからの非難を受けたこともあった。
だけど、今日、金沢翔子さんの書をみて
そんなの どうでも いいかなと思った。

10歳のときに書き上げたという般若心教。
20歳の個展のときの作品。


(http://noritake777.jp/kanazawa/shouko-index.htmlより引用)
私には、なにがいい書でそうでないか わかりません。
前衛といわれる方々の書、何をかいているのか さっぱりわからないし、
何がいいのかもわかりません。
古典にしても、すごいな と 思うけれど、何を書いているのか やはり わからないし、見方によっては、みみずがにょろにょろ的にも見えてしまいます。
こんな親だから、癇に障る方もいらっしゃるのでしょう。
だけど、この金沢翔子さんの書は、いつまでも、見ていたい そんな気持ちになりました。
うまくいえないのだけれども、線が生きている感じ?
上手いのかそうでないのかわからないけれど、
こんな風に、時々、自分の心にすうっと入ってくる書もある。
4人の生徒さんから始まった書道教室 今では、160人もの生徒さんが通われているとのこと。
金沢翔子さんのお母さんの思いが深いから、こうありたいという目的があるからこそ、
習いたいという生徒さんが増えるのでしょう。
今、自分が、はじめていること。
先日、ある方に
”おばはんのひまつぶし”
的なお言葉をいただきました。
それから、ほんとに、これは、私のひまつぶしにすぎないなのかしらん
ということ考えて。
ひまつぶしなんかじゃない。
ただの趣味でもない。
自分の立ち位置で出来る事、
それを考えた末に出てきた事。
ずっと今までの生活を送るのがいやだった。
今の状況を、壊してしまいたいと思った。
独り立ちをして、顔色をみずに生活できる自由を得たいと思った。
誰かの役に立ちたいと思った。楽しみになればいいとも思った。
そうすることで、子供たちの何かになるような気もした。
ここまでやり始めた以上、やっぱりや~めた
なんてこと、言いたくない。
後はない。前へ進むだけ。
だから、ひまつぶしなんて言わせない。。。
ここ何日か、ちゃんとやっていけるかどうか不安がいっぱいで
もし、うまくいかなかったら とか 坂道を転げ落ちるようなこと 考えていた。
だけど、今日、金沢翔子さんのことを知って、
また、ひまつぶし と言ってくれた人のおかげで、
もう一度、はじめの気持ち 思い出した。
アンビリーバブー?で、
金沢翔子さんという方のこと、流れていました。
はじめ画面に出てきたこの書

目を奪われてしまいました。
この書、なんとかというお寺で
この絵と

飾られているそうです。
金沢翔子さんという方、ダウン症とのこと。
お母さんは、それを知ったとき、死ぬことばかり考えていたそう。
TVでは、お母さんと翔子さん、そして亡くなったお父さんのことなどなど
今までの人生を紹介していました。
(以下 2009年2月25日 読売新聞の記事から)
母と二人三脚で書道家の道を歩む、ダウン症の書家・金澤翔子さん(23)。個展を年に数回開き、活躍の場を広げている。力強い線、躍動感のある書が会場を埋め尽くし、涙を流す来場者の姿も――。
昨年12月、銀座松坂屋で開かれた翔子さんの個展には、全国から約2000人が来場した。翔子さんは受付を務めながら、来場者に駆け寄って作品の解説をし、握手し、名刺を渡すなど動き回る。作品を見て、涙する人も見られた。
翔子さんは1986年、ダウン症という知的障害をもって生まれた。母の泰子さん(65)は、障害者を生んだという自責の念に苦しんだ。「子どもに将来を望んでもかなわない。希望がないから育てられないと思いました」と、当時を振り返る。
5歳の時、普通校に通うことが決まった。泰子さんは、翔子さんに友達を作ろうと書道教室を開く。これをきっかけに、翔子さんは書道を始めた。
10歳になり、担任の先生から「身障者学校に移って欲しい」と告げられた。その言葉にショックを受けた泰子さんは、翔子さんに般若心経を書かせた。泣きながら書くこともあったが、最後まで投げ出さずに1000文字以上の大作を書き上げた。「翔子には、私たちにない能力があると感じました。これが翔子の本質だと気づくと、考え方が変わりました」と泰子さん。
その4年後に亡くなった父・裕さんとの約束で、翔子さんは20歳の時に初の個展を開き、大作を披露した。個展後は、柳田流の家元に月3回、一人で通い、書を学んでいる。
泰子さんの子育ては、プラス面をのばし、マイナス面は切り捨てる。「計算はいまだに出来ません。出来ないことを一生懸命させてもストレスになるから切り捨てます。出来たら褒めて達成感を与え、自信を付けさせて、できることを増やします。その繰り返しです」
教育のテーマは「自立」だ。「私が死んでからのことを想定しています。私がいなくなったら一人。周りに迷惑をかけないように自立させなければなりません」と泰子さん。20歳までに買い物ができ、手紙が書けるようにする、という目標を立てた。今は1000円を持って買い物ができ、意思が伝えられる手紙が書けるという。
4人の生徒から始まった書道教室には現在、160人の生徒が通う。翔子さんは、泰子さんと共に書道教室で指導に携わる。
今の目標は、3年に一度は大きな個展を開くこと。泰子さんは「障害者の励みになり、希望を与えられれば」と話している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ピアニストの辻井 伸之さんもそうですが、子育てにおいて、母親の役割というものを改めて考えさせられました。
金沢翔子さんのお母さん、書の右上がりの概念を覚えさせるため、坂道を何度も歩き、また、並行という概念を覚えさせるために、線路を・・ というように、頭では理解できなくても、体で理解させようとしたとのことです。
子供の自主性ももちろん大切だけれども、道をつけ、それを引き伸ばしていく環境を整えることも大切なことですね。
20歳での個展の後、お母様の言葉。
「この個展を開いた最大の収穫は、実は翔子の長年の爪かみが止んだことなのです。どんなにしてもやめられず、いつも爪がボロボロだったのはやはり心に満たされぬものがあったのでしょう。でもそれがピタリと止んだのは、自分が認められたという自信が、翔子を変えたのだと思います」
我が家の娘も、同じ。
ダウン症であろうがなかろうが、心に感じていることは、きっと同じ。
自分が認められたという自信、自分が自分であることの自信、あるがままの自分をそのまま受け入れること
いつか そんな日が来ることを願っています。
今までいろいろな習い事通わせて
スイミングにピアノに・・・・
その中で、不思議と今まで続いているのが 習字。
だけど、その習字というか書道の世界も大人の思惑でうんざりする面がたくさん。
子供もそれに巻き込まれて、かわいそうと思うときもあった。
私の無知のため、書にも古典とか前衛とかあるの 知らなかった。
それでまた、まわりからの非難を受けたこともあった。
だけど、今日、金沢翔子さんの書をみて
そんなの どうでも いいかなと思った。

10歳のときに書き上げたという般若心教。
20歳の個展のときの作品。


(http://noritake777.jp/kanazawa/shouko-index.htmlより引用)
私には、なにがいい書でそうでないか わかりません。
前衛といわれる方々の書、何をかいているのか さっぱりわからないし、
何がいいのかもわかりません。
古典にしても、すごいな と 思うけれど、何を書いているのか やはり わからないし、見方によっては、みみずがにょろにょろ的にも見えてしまいます。
こんな親だから、癇に障る方もいらっしゃるのでしょう。
だけど、この金沢翔子さんの書は、いつまでも、見ていたい そんな気持ちになりました。
うまくいえないのだけれども、線が生きている感じ?
上手いのかそうでないのかわからないけれど、
こんな風に、時々、自分の心にすうっと入ってくる書もある。
4人の生徒さんから始まった書道教室 今では、160人もの生徒さんが通われているとのこと。
金沢翔子さんのお母さんの思いが深いから、こうありたいという目的があるからこそ、
習いたいという生徒さんが増えるのでしょう。
今、自分が、はじめていること。
先日、ある方に
”おばはんのひまつぶし”
的なお言葉をいただきました。
それから、ほんとに、これは、私のひまつぶしにすぎないなのかしらん
ということ考えて。
ひまつぶしなんかじゃない。
ただの趣味でもない。
自分の立ち位置で出来る事、
それを考えた末に出てきた事。
ずっと今までの生活を送るのがいやだった。
今の状況を、壊してしまいたいと思った。
独り立ちをして、顔色をみずに生活できる自由を得たいと思った。
誰かの役に立ちたいと思った。楽しみになればいいとも思った。
そうすることで、子供たちの何かになるような気もした。
ここまでやり始めた以上、やっぱりや~めた
なんてこと、言いたくない。
後はない。前へ進むだけ。
だから、ひまつぶしなんて言わせない。。。
ここ何日か、ちゃんとやっていけるかどうか不安がいっぱいで
もし、うまくいかなかったら とか 坂道を転げ落ちるようなこと 考えていた。
だけど、今日、金沢翔子さんのことを知って、
また、ひまつぶし と言ってくれた人のおかげで、
もう一度、はじめの気持ち 思い出した。