2010年07月12日
叱る と 怒る
こないだの日曜日の朝。
だれかのつけっぱなしのTVから
人形劇の三銃士がかかっていました。
家事をしながら、何気にきいていると
結構、面白い。
ダルタニアンにアトスに。。
昔、読んだ三銃士を思い出しながら
いつの間にか、見ていました。
ちょうど、ダルタニアンが何かの失敗をして
アトスに叱られているところでした。
謝りにいこうとするダルタニアンに
もう一人の三銃士(名前忘れました)がいった言葉。
”叱ると怒るは違う”
ということ。
”怒るのは自分の気持ちから。
叱るのは相手を思うから。”
”怒られたら、ごめんなさいと謝り
叱られたら、感謝する
それが大事だよ”
なるほど、そのとおり。
なかなか、朝のTVもあなどれない。
いいことを教えてくれるなあ。
今日、それを思い出しているのは、
自分がやりたいことは、
ある人にとっては望ましくないことだから。
それを知った上で、発進している自分に対して、
指示する言葉が
非常にうっとうしいときが多々あるから。
”そんなんする暇があれば、これしといといてよ”
”いないから、これができなかった”
などなど。
ちょっと、今日もうっとうしかったこともあって、
一日の終わりにPCの前に座ったとき、
いろいろと考えていると、
思い出したのが
”叱ると怒る”
という前述の言葉。
果たして私がかけられている言葉は
”叱る”
なのだろうか
"怒る”
なのだろうか。
どちらにしても、
受け取る私が、
”叱る”
ととれば
それは
”感謝”
につながり、
心穏やかに過ごせるのでないのだろうか
ということ。
また、子供に対して
自分は
”怒って”いるのだろうか
”叱って”いるのだろうか
ということ。
感情に任せて
”怒る”ことばかりしてはいないか
ということ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・いろいろと考えるのは考えるのだけれども
なかなか、聖人君子のようにはなれないな。。。
というのが、今日の結論。
だけど、心のどこかに留め置いて
そのようにありたいなと思うのも事実です。
ということで、今日はおしまい。
だれかのつけっぱなしのTVから
人形劇の三銃士がかかっていました。
家事をしながら、何気にきいていると
結構、面白い。
ダルタニアンにアトスに。。
昔、読んだ三銃士を思い出しながら
いつの間にか、見ていました。
ちょうど、ダルタニアンが何かの失敗をして
アトスに叱られているところでした。
謝りにいこうとするダルタニアンに
もう一人の三銃士(名前忘れました)がいった言葉。
”叱ると怒るは違う”
ということ。
”怒るのは自分の気持ちから。
叱るのは相手を思うから。”
”怒られたら、ごめんなさいと謝り
叱られたら、感謝する
それが大事だよ”
なるほど、そのとおり。
なかなか、朝のTVもあなどれない。
いいことを教えてくれるなあ。
今日、それを思い出しているのは、
自分がやりたいことは、
ある人にとっては望ましくないことだから。
それを知った上で、発進している自分に対して、
指示する言葉が
非常にうっとうしいときが多々あるから。
”そんなんする暇があれば、これしといといてよ”
”いないから、これができなかった”
などなど。
ちょっと、今日もうっとうしかったこともあって、
一日の終わりにPCの前に座ったとき、
いろいろと考えていると、
思い出したのが
”叱ると怒る”
という前述の言葉。
果たして私がかけられている言葉は
”叱る”
なのだろうか
"怒る”
なのだろうか。
どちらにしても、
受け取る私が、
”叱る”
ととれば
それは
”感謝”
につながり、
心穏やかに過ごせるのでないのだろうか
ということ。
また、子供に対して
自分は
”怒って”いるのだろうか
”叱って”いるのだろうか
ということ。
感情に任せて
”怒る”ことばかりしてはいないか
ということ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・いろいろと考えるのは考えるのだけれども
なかなか、聖人君子のようにはなれないな。。。
というのが、今日の結論。
だけど、心のどこかに留め置いて
そのようにありたいなと思うのも事実です。
ということで、今日はおしまい。