2011年02月17日
四十九日のレシピ
先日の、NHKのTV
”四十九日のレシピ”
NHKのHPより
”私がいなくなっても、あなたが明日を生きていけるように・・・。
母の乙美が亡くなって2週間後、百合子は実家に戻ってきた。父・良平を気遣っての里帰り・・・ではなく、
夫との離婚を決意しての帰郷だった。ところがそこに、井本と名乗る20歳の女の子と日系ブラジル人の青年ハルミが加わって、乙美の四十九日の法要までの期限付きで、ちょっと変わった4人の生活が始まる。”
原作者の言葉

主人公百合子は子供ができず、夫には愛人ができ、愛人が妊娠したことを知り、離婚届に印を押して、実家に帰ってきます。
継母の乙美には、素直になれなかったような感じ。
TVの冒頭で、父親の良平(伊藤四郎)が、葬式後、家の事何もせず、寝ては起きの生活で、あちこちにゴミが散乱、らくだ色の股引で生活している様子が出た瞬間、実家の父の姿とオーバーラップしてしまいました。
で、また、なくなった乙美のくるっくるっとかけたパーマ姿がこれまた、亡くなった母の姿にオーバーラップしてしまい、
またまた、母親に素直じゃない百合子が自分の姿にオーバーラップしてしまい、
しょっぱなから、うるうるとなってしまったのでした。
引用させていただいた原作者の言葉にあるように
”家族とは?”
”愛とは?”
”生きる意味とは?”
普段は、日常の多々のことに追われて、考えることあまりありません。
やけど、それが、人の死であったり、人生の岐路にたったとき、
考えざるをえないことなのかもしれません。
次の日、本屋さんで、原作を買って、一気に読んでしまいました。
ちょうど、百合子さんと同じ世代の自分。
ほんとに、本の中に入り込んでしまいました。
その中の一節
"私たちは、テイクオフ・ボード。
跳び箱の踏み切り板。
思い切り走って、板を踏み切って箱を飛んだら、もう思い出さなくていい。
過去を飛び越えたことに自信を持って、まっすぐに走っていけばいいんです
親が子を支えるように、みんな、誰かの踏み切り板になって、次の世代を前に飛ばしていく。
私も誰かのテイクオフ・ボード。
生きている、生活をする。気にかけることがあり、気にかけてくれる人がいる。
それだけで、人は誰かを飛ばし、飛ばしてもらい、一緒に前に進んでいる気がします。
それは無数のテイクオフ・ボード。
お互い様。”
母の人生。母は、幸せだったのだろうか?
もっと、聞きたいこと、聞いてもらいたいことあった。
母の足跡・兄の足跡、たぶん、空白が多いだろうな。
遺品を整理していて、見つけたこともあって、
後悔先に立たず・・・・。
だけど、その思いを持って、次へ飛ばしていくこと。
未来を考えなければ。
毎日の、当たり前の何気ない日常を愛おしく大切に、
そんな毎日を送ろう。
この本を読んで、そんな風に感じました。
よく見ると、この作者 伊吹有喜さん、年が近い?。
だから、共感するところ多かったのかなあ。
”四十九日のレシピ”
NHKのHPより
”私がいなくなっても、あなたが明日を生きていけるように・・・。
母の乙美が亡くなって2週間後、百合子は実家に戻ってきた。父・良平を気遣っての里帰り・・・ではなく、
夫との離婚を決意しての帰郷だった。ところがそこに、井本と名乗る20歳の女の子と日系ブラジル人の青年ハルミが加わって、乙美の四十九日の法要までの期限付きで、ちょっと変わった4人の生活が始まる。”
原作者の言葉

主人公百合子は子供ができず、夫には愛人ができ、愛人が妊娠したことを知り、離婚届に印を押して、実家に帰ってきます。
継母の乙美には、素直になれなかったような感じ。
TVの冒頭で、父親の良平(伊藤四郎)が、葬式後、家の事何もせず、寝ては起きの生活で、あちこちにゴミが散乱、らくだ色の股引で生活している様子が出た瞬間、実家の父の姿とオーバーラップしてしまいました。
で、また、なくなった乙美のくるっくるっとかけたパーマ姿がこれまた、亡くなった母の姿にオーバーラップしてしまい、
またまた、母親に素直じゃない百合子が自分の姿にオーバーラップしてしまい、
しょっぱなから、うるうるとなってしまったのでした。
引用させていただいた原作者の言葉にあるように
”家族とは?”
”愛とは?”
”生きる意味とは?”
普段は、日常の多々のことに追われて、考えることあまりありません。
やけど、それが、人の死であったり、人生の岐路にたったとき、
考えざるをえないことなのかもしれません。
次の日、本屋さんで、原作を買って、一気に読んでしまいました。
ちょうど、百合子さんと同じ世代の自分。
ほんとに、本の中に入り込んでしまいました。
その中の一節
"私たちは、テイクオフ・ボード。
跳び箱の踏み切り板。
思い切り走って、板を踏み切って箱を飛んだら、もう思い出さなくていい。
過去を飛び越えたことに自信を持って、まっすぐに走っていけばいいんです
親が子を支えるように、みんな、誰かの踏み切り板になって、次の世代を前に飛ばしていく。
私も誰かのテイクオフ・ボード。
生きている、生活をする。気にかけることがあり、気にかけてくれる人がいる。
それだけで、人は誰かを飛ばし、飛ばしてもらい、一緒に前に進んでいる気がします。
それは無数のテイクオフ・ボード。
お互い様。”
母の人生。母は、幸せだったのだろうか?
もっと、聞きたいこと、聞いてもらいたいことあった。
母の足跡・兄の足跡、たぶん、空白が多いだろうな。
遺品を整理していて、見つけたこともあって、
後悔先に立たず・・・・。
だけど、その思いを持って、次へ飛ばしていくこと。
未来を考えなければ。
毎日の、当たり前の何気ない日常を愛おしく大切に、
そんな毎日を送ろう。
この本を読んで、そんな風に感じました。
よく見ると、この作者 伊吹有喜さん、年が近い?。
だから、共感するところ多かったのかなあ。

2010年10月23日
くじけないで 柴田トヨ
くじけないで 柴田トヨ著

待ってる時間に、本屋さんで見つけた本。
何気なく手に取ってみたのだけれども、
引き込まれてしまいました。
柴田トヨさんという方 99歳。
産経新聞の朝の詩に掲載された詩を集めたものだそうです。
選者の新川和江さん。
新川和江さんの詩も私好きです。
新川和江さんの”私を束ねないで”という詩。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私を束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
たばねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いつくかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私だけじゃない、こんな思いを抱えてる人いるんだと思ったこと。
私が感じてること、おかしくないんだと思ったこと。
新川和江さんが、柴田トヨさんの本の序文に書かれてあります。
”トヨさんのように生きていこう”
99歳というお年。
いろんなこと経てきた人生。
その人生に裏打ちされた言葉は、心にとても染み渡ります。
ひとつひとつの言葉、
飾り気のない率直な言葉は、す~っと心の中に入ってきます。
この詩集の中には、ご自身のお母さんのこと、書かれてあるのがいくつかあります。
その中の一つ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母
母の後を
風車を かざしながら
追いかけていく
風はやさしく
陽は暖かかった
振り向く母の笑顔に
安堵しながら
早く大人になって
孝行したいと
そう、思ったものだ
母の齢を とうに越して
今 私は
初夏の風に
吹かれている
若い母の声が聞こえる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほんとにそう。
時々、思い馳せる。
今の自分の年と同じ母のこと。
何を考えていたのかなあと。
もう、話すこともできないけれど、
トヨさんの詩のように
若い母の声、年老いた母の声、今でも耳に残ってる。
99歳になっても、母親の事、思うのだから、
今の私が、母の事、思うの、
悪くないよね
と、思ったこと。
柴田トヨさんのようには、まだまだなれないけれど、
それでも、
”トヨさんのように生きていきたい”
と、思う。

待ってる時間に、本屋さんで見つけた本。
何気なく手に取ってみたのだけれども、
引き込まれてしまいました。
柴田トヨさんという方 99歳。
産経新聞の朝の詩に掲載された詩を集めたものだそうです。
選者の新川和江さん。
新川和江さんの詩も私好きです。
新川和江さんの”私を束ねないで”という詩。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私を束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
たばねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いつくかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私だけじゃない、こんな思いを抱えてる人いるんだと思ったこと。
私が感じてること、おかしくないんだと思ったこと。
新川和江さんが、柴田トヨさんの本の序文に書かれてあります。
”トヨさんのように生きていこう”
99歳というお年。
いろんなこと経てきた人生。
その人生に裏打ちされた言葉は、心にとても染み渡ります。
ひとつひとつの言葉、
飾り気のない率直な言葉は、す~っと心の中に入ってきます。
この詩集の中には、ご自身のお母さんのこと、書かれてあるのがいくつかあります。
その中の一つ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母
母の後を
風車を かざしながら
追いかけていく
風はやさしく
陽は暖かかった
振り向く母の笑顔に
安堵しながら
早く大人になって
孝行したいと
そう、思ったものだ
母の齢を とうに越して
今 私は
初夏の風に
吹かれている
若い母の声が聞こえる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほんとにそう。
時々、思い馳せる。
今の自分の年と同じ母のこと。
何を考えていたのかなあと。
もう、話すこともできないけれど、
トヨさんの詩のように
若い母の声、年老いた母の声、今でも耳に残ってる。
99歳になっても、母親の事、思うのだから、
今の私が、母の事、思うの、
悪くないよね
と、思ったこと。
柴田トヨさんのようには、まだまだなれないけれど、
それでも、
”トヨさんのように生きていきたい”
と、思う。
2010年09月18日
獣の奏者 外伝 刹那

本屋で見つけて、一気読み。
というか、娘にとられてようやく今日読みました。
獣の奏者 外伝 刹那
著者: 上橋菜穂子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エリンの同棲……、エサルの恋……、
――空白の11年間がとうとうあきらかに!
イアルとエリンの同棲時代が書かれる「刹那」
エサルが若かりし頃を思い返す「秘め事」
息子ジェシの成長をかいまみる「はじめての…」 の3編を収録
ずっと心の中にあったエリンとイアル、エサルの人生――彼女らが人として生きてきた日々――を書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です。「刹那」はイアルの語り、「秘め事」はエサルの語りという、私にとっては珍しい書き方を試みました。楽しんでいただければ幸いです。――上橋菜穂子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エリンと、その先生のエサル先生 それぞれのお話。
エリンの生き方 短い生であっても、子をなし、
エサル先生の生き方 恋を恋で終わらせて、残りの生を生きていく
それぞれの生き方
本の中でエサル先生のお父さんがいいます。
植物には種を作り次世代へと続けていく種もある
きれいな花を咲かせて目を楽しませる種もある
それぞれだから
肝心なのはその時その時にどれだけ自分が
そのことに向き合って真剣に考えるかということ
だから、エサル先生もあのとき、別れなければと思うときもあろうけど
今の生き方に後悔はないはず。
まだ少し本の世界の中でふわふわとしています~。
2010年07月26日
アダルト・エデュケーション 村山由佳
朝の新聞広告の言葉
”欲望に忠実になると、人生は間違いなくしんどい。そのしんどさに耐えられる心と、生じうる結果に対して落とし前をつける覚悟のある者だけが、自らのほんとうの望みに忠実になることを許されるのだ。”
この言葉に惹かれて、買ってしまいました。。。

とても人気なのか、本屋さんにはこれが最後の一冊でした。
中身は。。。ちょっと、口では説明できないかも。
惹かれる方は、本屋さんへGO~。
村山由佳さんの公式サイトより
・・・・・・・・・・・・・・以下引用
【ただ、恋、だったのだ。そんな凶暴なものに、誰が抗えるだろう。】
植えつけられた罪悪感なら捨てた――。
秘めた願望を実行したら、新しくなった自分を知った。
覚悟を決めた12の恋の行方。
最新連作小説。
というわけで。
一年間、女性誌『GINGER』に毎月連載していた短編小説が、このたび一冊にまとまりました。
年齢も境遇も性格も違う十二人の女性たち、それぞれの、激しくもせつない恋愛模様を描いた作品集です。
『ダブル・ファンタジー』に引き続き、性愛の問題、とくに世間的にはタブーとされがちな恋や性のかたちにもあえて踏みこんだ内容となっています。道徳的な先入観が強い人は、一話、二話、たぶん三話目くらいまで読んだところで、何これ…… と眉をひそめるかもしれません。
でも、ほんとうはそういう人にこそ読んでもらいたい。
私自身も決して、したいことなら何をやってもいい、などとは思っていません。むしろ、モラルとかタブーの意識は人並み以上に強い人間だと思います。いい子ちゃんの優等生だったから、おかげでそれゆえのラクさも、それゆえのしんどさも両方味わってきました。
だけど、そのタブーやモラルの感覚っていったい、どこから来たものなのか。
どこから来たもへったくれもない、人としてあたりまえのことだからみんな破らないようにして守ってるんだよ、というのは間違いです。あくまで一例ですが、今は日本において「あたりまえ」とされている一夫一婦制だって、ほんのちょっと歴史をひもとけば実はものすごく新しい制度であり概念だということがわかります。
つまり、「人として守ってあたりまえの常識」は、決して不可変のものではない、ということです。「正しい」も「正しくない」も、ころころ変わっていくものだ、ということです。
「当然」 してはいけないこと。
「反射的に」 嫌悪を覚えること。
「考えるまでもなく」 とんでもないこと――。
そういう、あなたの中の正義や禁忌の意識は、いったいいつのまに、どこから植え付けられたものなのか。何を根拠に、自分の理解できない相手を断罪しようとするのか。
そんなこと、一度も考えたこともなければ疑う必要性も感じない、という人はある意味幸せかもしれません。
けれど私は、現実の生活の中ではめったに侵されることのない「常識」の部分に、小説で揺さぶりをかけてみたかった。それが、正直なところです。
読んで、大いに眉をひそめて下さい。
ムラヤマ、17年目にして初の連作短編集、
『アダルト・エデュケーション』
――劇薬 ・ 取り扱い注意、です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今まで自分が 当たり前 当然 と思っていたことが、
実は、そうではないということ。
そこから、自分の中の善悪 正しいかそうでないか という
ラインはどこからできたものか?
村山由佳さんのこの文章
とても共感を覚えます。
自分は自分の心を解放したいと思ってる
その先にあるものを見てみたいと思っている
だけど、現実問題、したいことを気の向くままにするなんてことは
出来ません。
読後の感想は、
共感を覚える部分と
こういう人もいるのねという客観的な部分と
両方。
村山由佳さん、おいしいお茶の入れ方 だったっけ??
あのイメージがあったのですが、
こちらは、また、全然、違った感じで、
心の奥深くまたその奥の深層心理に迫ってきそうな感じ。
果たして 自分は??
どうなんでしょうかねえ~。
”欲望に忠実になると、人生は間違いなくしんどい。そのしんどさに耐えられる心と、生じうる結果に対して落とし前をつける覚悟のある者だけが、自らのほんとうの望みに忠実になることを許されるのだ。”
この言葉に惹かれて、買ってしまいました。。。

とても人気なのか、本屋さんにはこれが最後の一冊でした。
中身は。。。ちょっと、口では説明できないかも。
惹かれる方は、本屋さんへGO~。
村山由佳さんの公式サイトより
・・・・・・・・・・・・・・以下引用
【ただ、恋、だったのだ。そんな凶暴なものに、誰が抗えるだろう。】
植えつけられた罪悪感なら捨てた――。
秘めた願望を実行したら、新しくなった自分を知った。
覚悟を決めた12の恋の行方。
最新連作小説。
というわけで。
一年間、女性誌『GINGER』に毎月連載していた短編小説が、このたび一冊にまとまりました。
年齢も境遇も性格も違う十二人の女性たち、それぞれの、激しくもせつない恋愛模様を描いた作品集です。
『ダブル・ファンタジー』に引き続き、性愛の問題、とくに世間的にはタブーとされがちな恋や性のかたちにもあえて踏みこんだ内容となっています。道徳的な先入観が強い人は、一話、二話、たぶん三話目くらいまで読んだところで、何これ…… と眉をひそめるかもしれません。
でも、ほんとうはそういう人にこそ読んでもらいたい。
私自身も決して、したいことなら何をやってもいい、などとは思っていません。むしろ、モラルとかタブーの意識は人並み以上に強い人間だと思います。いい子ちゃんの優等生だったから、おかげでそれゆえのラクさも、それゆえのしんどさも両方味わってきました。
だけど、そのタブーやモラルの感覚っていったい、どこから来たものなのか。
どこから来たもへったくれもない、人としてあたりまえのことだからみんな破らないようにして守ってるんだよ、というのは間違いです。あくまで一例ですが、今は日本において「あたりまえ」とされている一夫一婦制だって、ほんのちょっと歴史をひもとけば実はものすごく新しい制度であり概念だということがわかります。
つまり、「人として守ってあたりまえの常識」は、決して不可変のものではない、ということです。「正しい」も「正しくない」も、ころころ変わっていくものだ、ということです。
「当然」 してはいけないこと。
「反射的に」 嫌悪を覚えること。
「考えるまでもなく」 とんでもないこと――。
そういう、あなたの中の正義や禁忌の意識は、いったいいつのまに、どこから植え付けられたものなのか。何を根拠に、自分の理解できない相手を断罪しようとするのか。
そんなこと、一度も考えたこともなければ疑う必要性も感じない、という人はある意味幸せかもしれません。
けれど私は、現実の生活の中ではめったに侵されることのない「常識」の部分に、小説で揺さぶりをかけてみたかった。それが、正直なところです。
読んで、大いに眉をひそめて下さい。
ムラヤマ、17年目にして初の連作短編集、
『アダルト・エデュケーション』
――劇薬 ・ 取り扱い注意、です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今まで自分が 当たり前 当然 と思っていたことが、
実は、そうではないということ。
そこから、自分の中の善悪 正しいかそうでないか という
ラインはどこからできたものか?
村山由佳さんのこの文章
とても共感を覚えます。
自分は自分の心を解放したいと思ってる
その先にあるものを見てみたいと思っている
だけど、現実問題、したいことを気の向くままにするなんてことは
出来ません。
読後の感想は、
共感を覚える部分と
こういう人もいるのねという客観的な部分と
両方。
村山由佳さん、おいしいお茶の入れ方 だったっけ??
あのイメージがあったのですが、
こちらは、また、全然、違った感じで、
心の奥深くまたその奥の深層心理に迫ってきそうな感じ。
果たして 自分は??
どうなんでしょうかねえ~。
2010年07月15日
思い立ったが上吉日
最近、町田貞子さんの本にはまっています。
町田貞子さん。。。整理収納講座を受講したときに講師の先生のお話の中に出てきた方。
最近、読んでいるのが

ひとつひとつの文章に
心動かされるのですが、
今日はその中のひとつ。
"思い立ったが上吉日”
という言葉。
この本のあとがきで、町田貞子さんの娘さんが書かれている文章の一節です。
”何かをやろうと決意したとき、どうしよう、やっぱりやめようか、でも私、やるのは今しかないと決めた、だけど、日が悪いのではないか・・・・・。などと迷うことがあります。
そんなとき、祖母も、そして実は母も、「思い立ったが上吉日」と言い、「やってごらんなさい。そこまで考えて、あなたが自分で決意したわけでしょう、やってみようって。そう思い立った恭賀、一番いい日です。やってみてダメだったら、また考えてやり直せばいいじゃない。やらないで後悔するより、やってみる。道は前にのびていますよ」”
”考えてみれば、私はこの言葉に励まされて生きてきたように思えます。今、私の心には「思い立ったが上吉日」の言葉がしっかり根付きました。親から子へと「言葉」が、そしてこの言葉の持つ意味、「自分が、自分の責任で自分の人生を創る」ということが確実に伝わったのです。祖母が母に伝え、いつのまにか母から私に伝わっている「生き方」を、今しみじみと感じています。”
いろいろ迷いもあるし、思うようにことが進まないこともあるし、
人生ほんといろいろです。
私は、母と兄の突然の死を目の当たりにして、
そこから、自分の人生、考えはじめました。
昨日まで、いえ、ついさっきまで、生きていた人が、
次の瞬間、物言わなくなってしまう。
そんなことが、現実にありえるということ。
今でも、病院での母や兄の顔を思い出すし、
今でも、どうして、あのとき、もっと話しなかったのか とか
どうして、また今度・・・とか言ってしまったのか
悔やんでしまいます。
悔やんだところで、逝ってしまった人は還ってこないのにね。
もう、あんな思いはしたくない。
だから、今、できることをひとつひとつこなしていこう。
だから、この本の
「思い立ったが上吉日」
この言葉を読んだとき、
こんな風に考えて生きている人もいるというのは、
決して、自分の思いというのは、間違いじゃないということ。
そんな風に感じさせてくれました。
「自分が、自分の責任で自分の人生を創る」
ということ。
はやとちりもするし、
いらんことをしゃべってしまったりするし、
どうしよう~というような失敗もする。
けれど、
やらないで後悔するよりも、やってみる。
いろいろ考えてうじうじしても、
人はいつか死を迎えます。
突然、ぷちっと生を断ち切られることを思えば、
今、できることをやってみる。
自分のアンテナをいろいろな方向へ傾けることによって
この世界は、いろいろな指針に溢れているということ。
今日の思ったこと。
町田貞子さん。。。整理収納講座を受講したときに講師の先生のお話の中に出てきた方。
最近、読んでいるのが

ひとつひとつの文章に
心動かされるのですが、
今日はその中のひとつ。
"思い立ったが上吉日”
という言葉。
この本のあとがきで、町田貞子さんの娘さんが書かれている文章の一節です。
”何かをやろうと決意したとき、どうしよう、やっぱりやめようか、でも私、やるのは今しかないと決めた、だけど、日が悪いのではないか・・・・・。などと迷うことがあります。
そんなとき、祖母も、そして実は母も、「思い立ったが上吉日」と言い、「やってごらんなさい。そこまで考えて、あなたが自分で決意したわけでしょう、やってみようって。そう思い立った恭賀、一番いい日です。やってみてダメだったら、また考えてやり直せばいいじゃない。やらないで後悔するより、やってみる。道は前にのびていますよ」”
”考えてみれば、私はこの言葉に励まされて生きてきたように思えます。今、私の心には「思い立ったが上吉日」の言葉がしっかり根付きました。親から子へと「言葉」が、そしてこの言葉の持つ意味、「自分が、自分の責任で自分の人生を創る」ということが確実に伝わったのです。祖母が母に伝え、いつのまにか母から私に伝わっている「生き方」を、今しみじみと感じています。”
いろいろ迷いもあるし、思うようにことが進まないこともあるし、
人生ほんといろいろです。
私は、母と兄の突然の死を目の当たりにして、
そこから、自分の人生、考えはじめました。
昨日まで、いえ、ついさっきまで、生きていた人が、
次の瞬間、物言わなくなってしまう。
そんなことが、現実にありえるということ。
今でも、病院での母や兄の顔を思い出すし、
今でも、どうして、あのとき、もっと話しなかったのか とか
どうして、また今度・・・とか言ってしまったのか
悔やんでしまいます。
悔やんだところで、逝ってしまった人は還ってこないのにね。
もう、あんな思いはしたくない。
だから、今、できることをひとつひとつこなしていこう。
だから、この本の
「思い立ったが上吉日」
この言葉を読んだとき、
こんな風に考えて生きている人もいるというのは、
決して、自分の思いというのは、間違いじゃないということ。
そんな風に感じさせてくれました。
「自分が、自分の責任で自分の人生を創る」
ということ。
はやとちりもするし、
いらんことをしゃべってしまったりするし、
どうしよう~というような失敗もする。
けれど、
やらないで後悔するよりも、やってみる。
いろいろ考えてうじうじしても、
人はいつか死を迎えます。
突然、ぷちっと生を断ち切られることを思えば、
今、できることをやってみる。
自分のアンテナをいろいろな方向へ傾けることによって
この世界は、いろいろな指針に溢れているということ。
今日の思ったこと。
2010年06月19日
図書館戦争 有川浩

地方の本屋には、揃ってないから
買ってきて
と、バイト代10,000円渡されて、
高松の本屋さんで
大人買い。
・・・買って帰るの、重かったよ~~。
我が家のお嬢さん、
昨日から、
あまり、寝てない??
有川浩って、そんなに面白い??
母は、自衛隊の用語で、OUTです。
2010年06月02日
クジラの彼 有川浩

クジラの彼 有川浩著
最近、娘がはまっている本。
がっこの図書館で借りて読んだんだけど
どうしても、欲しくて 買っちゃった とのこと。
絵がとてもきれいとのこと。
”どんな話?”
と聞くと
”甘酸っぱい”
だって。
そのうちに、母も読んでみよう。
2010年05月10日
伊坂幸太郎 ”オーファーザー”

伊坂幸太郎
”オーファーザー”
最近、子供が、伊坂幸太郎にはまっているようで
机においてあったのを
何気に手を取って
読んでみると
これが
なかなか 面白い。
主人公の高校生の男の子
この子には なんと 父親が4人。
母親が 同時期に 4人と付き合っていたらしく
誰が本当の父親か分からない。
だけど、DNA鑑定をしてまで、決着をつけようということもなく、
一軒家で母1人・父4人・高校生の息子
計6人で生活している。
また、この父親たち、4人それぞれに、個性がある父親たちで。
ギャンブルが大好きな鷹、
何でも知っている頭のいい悟(学校の先生)、
スポーツ万能の勲、
女性にもてる葵。
そして、「知代さんと別れるくらいなら、みんな一緒の方が良い」と言われるお母さん。
そして、これらの父親たちに育てられた現在高校生の由紀夫。
スポーツもでき、勉強もでき、女性たちにたいするあしらいも上手。
こんなのありえない~
というキャラ設定ですが
だけど、
内容は、どきどき してしまいます。
ギャンブル好きの鷹とドッグレースに行った際、
由紀夫は、盗みの現場を目撃してしまい、
そこから、いろんなことに巻き込まれていって・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家族がそれぞれに思い合う姿
会話の一つ一つが
テンポよく、
それでいて
暖かく
改めて
家族って、やっぱりいい。
血のつながりがどうこうじゃなく、
相手を思う気持ち。
うざがられても
ひとことひとことに反発されても
そこに、ちゃんと、会話が存在しているということ。
ときたま、
素直な
ありがとう
という言葉が出てきたりすると、
思わず顔を見たりもする。
昔で言う
おせっかいばあさん
のような感じ?
で、いいのだなと読んでいて思ったこと。
それから、世で言う常識に縛られない生活。
常識に縛られすぎると、息苦しい。
常識の範囲外、その向こうにあるもの
それを垣間見ることで
自分の精神のバランスが
保たれているな
と感じる時が少なからず。
常識から飛び出した設定のこの物語。
1つに決められないのなら、こんなのもありかしらん
と、こういう選択もいいなと思ったり、
ラストもめでたしめでたしで
読んでいて楽になった 伊坂幸太郎の”オーファーザー”でした。
さて、息子は、これを読んで、何を感じたのだろうか・・・。
2010年02月22日
子どもはおとなの育ての親 天野秀昭著
先日、とある講演で、
それは 子どもたちの生きる力を育てよう という主旨で
プレーパークの説明や 大人としての役割 そういった内容の講演でした。
講師の 天野秀昭さん という方 の 話から
いろいろなことを考えさせられました。
その中で
人間は根本的には
快・不快
で動いている。
不快は嫌だという気持ちが、命を守っているということ。
たとえとして、
地球温暖化の問題、わかっているなら、エアコンなんて、全部やめてしまえばいいのに
それができないのはエアコンがないと 人は不快であるということを知っているから。
だけど、大人は子どもに対して 自分の正に従わせようとしているということ。
人は誰でも 自分の命を握っているのが誰かを知っているから、その人に望まれるような自分になろうとしている。
虐待を受けた子達は、自分がもっとちゃんとしていれば とか 自分が悪いから と自分をまず責めるとのこと。
自分自身がここにいていいんだ
自分が自分の人生の主役なんだ
大人が おまえはおまえだといってやらなければ、主体性がなくなってしまう。
・・・・・
聞くこと全てが 耳の痛いことばかり。
自由に生きたい
そう思っていたのだけれども 実のところ
自分1人だけでは 自由になれなかった
人も自由であってほしい
そうであって はじめて 自分が 自由だと 感じた
天野さんは そうおっしゃっていました。
プレイパークをして、
自分も楽しみ それを見た 周りも 楽しくなる。
そんな経験も とのこと。
今、自分が抱えている問題も そう。
解決もしていないし、答えも、見えていない。
だけど、
”自分が自分であり、
自分に素直であり
自分を好きになる”
今 このときは これでいいのかもしれないとも 思う。
こうして、この講演を聴きに行こうと思った自分が好き。

”もともと命は生きる力にあふれている”
みなが、今日の天気のように 晴れやかに過ごせるように。
それは 子どもたちの生きる力を育てよう という主旨で
プレーパークの説明や 大人としての役割 そういった内容の講演でした。
講師の 天野秀昭さん という方 の 話から
いろいろなことを考えさせられました。
その中で
人間は根本的には
快・不快
で動いている。
不快は嫌だという気持ちが、命を守っているということ。
たとえとして、
地球温暖化の問題、わかっているなら、エアコンなんて、全部やめてしまえばいいのに
それができないのはエアコンがないと 人は不快であるということを知っているから。
だけど、大人は子どもに対して 自分の正に従わせようとしているということ。
人は誰でも 自分の命を握っているのが誰かを知っているから、その人に望まれるような自分になろうとしている。
虐待を受けた子達は、自分がもっとちゃんとしていれば とか 自分が悪いから と自分をまず責めるとのこと。
自分自身がここにいていいんだ
自分が自分の人生の主役なんだ
大人が おまえはおまえだといってやらなければ、主体性がなくなってしまう。
・・・・・
聞くこと全てが 耳の痛いことばかり。
自由に生きたい
そう思っていたのだけれども 実のところ
自分1人だけでは 自由になれなかった
人も自由であってほしい
そうであって はじめて 自分が 自由だと 感じた
天野さんは そうおっしゃっていました。
プレイパークをして、
自分も楽しみ それを見た 周りも 楽しくなる。
そんな経験も とのこと。
今、自分が抱えている問題も そう。
解決もしていないし、答えも、見えていない。
だけど、
”自分が自分であり、
自分に素直であり
自分を好きになる”
今 このときは これでいいのかもしれないとも 思う。
こうして、この講演を聴きに行こうと思った自分が好き。

”もともと命は生きる力にあふれている”
みなが、今日の天気のように 晴れやかに過ごせるように。
2010年02月16日
三行の智恵 葉祥明
ブログで教えてもらった
葉祥明さんの詩。
葉祥明さんって、草原に2,3本木がたっている絵や、青い海の水平線の絵なんか描いている人のイメージしかなかったのですが、
いろいろ考えることの多い日常の中で
ふとこの人の詩を読むと、ふ~っと肩の力がぬけるような気がするときがあります。
先日、本屋さんで見つけた本。

”あなたへ
人の心の奥深く二は、宇宙の真理ともいうべきものが秘められていますが、欲やエゴや迷いによって、現実の生活と人生の中では、重いと行動が揺れ動き、正しい行動にならないことがよくあります。そんな時、無私無欲・無我の心になれば、自ずと正しい答えが心に響いてくるはずです。”
ほんとにね、生活していく中で、いろんな欲・しがらみに身動き取れなくなっているなと感じることがあります。
ほんとは、こんなこと、言うつもりなかったのに。
ほんとは、こうするはずじゃなかったのに。
という風に、あれっ?と首をかしげてしまうようなことも多々。
それに伴って、どうしてどうして と あとあと精神的にもひきずっていることも。
だけど、
”卑下も強がりもなく
あるがままの
自分自身であればいい”
”皆がやっていること
ではなく
自分がやりたいことを”
”誠実さや正直さは
時として不利益をもたらすが、
それでもその価値は揺るがない”
なんて、言葉を見つけると、
枯れていた土に水がしみこんでいくような気分になります。
最近 よく自分に問いかけるのが
”自分にとって正しくても、
相手にとっては
正しくないことがある”
”自分がありすぎると、
相手も自分も
窮屈で辛くなる”
という言葉。
自分が、今、考えて、行動しようとしていることは、ほんとに、これで いいのか。
自分だけで、つっぱしっているのではないかということ。
最近、子供との会話でも教えられることがたくさん。
みんなそれぞれに考えを持って生きているということ。
自分らしくと思うのだけれども、そればかりでもだめだということ。
ちょうどいい匙加減で、
押し付けがましくならずに
みんながゆったりとできれば
いうことないのだけれども。
”人を批判するのは
自分の弱さや間違い、
怒りや弱みを隠すため”
自分は何様でもないし、己を知れ ということですね きっと。
実は今日いろいろあって
自分のこと棚に上げて人のこと重箱の隅をつつくようになんでそこまで言われないかんの
なんて、ぶうたれていたものですから、
一日の終わりに
これではいけないと
思い返してみました。
煩悩の多い自分ですが、
いつの日にか、無私無欲・無我の心というものになってみたいものだと
思います。
”どんな人であれ
必ずどこかで誰かが
見守ってくれている”
この本に出合えたことに感謝。
この人のことを教えてくれた人に感謝。
また気持ちを切り替えて
歩いていきましょう。
葉祥明さんの詩。
葉祥明さんって、草原に2,3本木がたっている絵や、青い海の水平線の絵なんか描いている人のイメージしかなかったのですが、
いろいろ考えることの多い日常の中で
ふとこの人の詩を読むと、ふ~っと肩の力がぬけるような気がするときがあります。
先日、本屋さんで見つけた本。

”あなたへ
人の心の奥深く二は、宇宙の真理ともいうべきものが秘められていますが、欲やエゴや迷いによって、現実の生活と人生の中では、重いと行動が揺れ動き、正しい行動にならないことがよくあります。そんな時、無私無欲・無我の心になれば、自ずと正しい答えが心に響いてくるはずです。”
ほんとにね、生活していく中で、いろんな欲・しがらみに身動き取れなくなっているなと感じることがあります。
ほんとは、こんなこと、言うつもりなかったのに。
ほんとは、こうするはずじゃなかったのに。
という風に、あれっ?と首をかしげてしまうようなことも多々。
それに伴って、どうしてどうして と あとあと精神的にもひきずっていることも。
だけど、
”卑下も強がりもなく
あるがままの
自分自身であればいい”
”皆がやっていること
ではなく
自分がやりたいことを”
”誠実さや正直さは
時として不利益をもたらすが、
それでもその価値は揺るがない”
なんて、言葉を見つけると、
枯れていた土に水がしみこんでいくような気分になります。
最近 よく自分に問いかけるのが
”自分にとって正しくても、
相手にとっては
正しくないことがある”
”自分がありすぎると、
相手も自分も
窮屈で辛くなる”
という言葉。
自分が、今、考えて、行動しようとしていることは、ほんとに、これで いいのか。
自分だけで、つっぱしっているのではないかということ。
最近、子供との会話でも教えられることがたくさん。
みんなそれぞれに考えを持って生きているということ。
自分らしくと思うのだけれども、そればかりでもだめだということ。
ちょうどいい匙加減で、
押し付けがましくならずに
みんながゆったりとできれば
いうことないのだけれども。
”人を批判するのは
自分の弱さや間違い、
怒りや弱みを隠すため”
自分は何様でもないし、己を知れ ということですね きっと。
実は今日いろいろあって
自分のこと棚に上げて人のこと重箱の隅をつつくようになんでそこまで言われないかんの

なんて、ぶうたれていたものですから、
一日の終わりに
これではいけないと
思い返してみました。
煩悩の多い自分ですが、
いつの日にか、無私無欲・無我の心というものになってみたいものだと
思います。
”どんな人であれ
必ずどこかで誰かが
見守ってくれている”
この本に出合えたことに感謝。
この人のことを教えてくれた人に感謝。
また気持ちを切り替えて
歩いていきましょう。
2010年02月02日
しあわせ家族の魔法の言葉 葉祥明
『いってらっしゃい』
『いってらっしゃい!』と人が言うとき、
それは、今日も思いきり、働き、学び、楽しんで、
そして無事に、この家に帰ってきてください、
という願いが込められているのです。
自宅の玄関で、駅で、空港で、
無事と安全を願って呼びかけられるその言葉は、
光りのエネルギーとなって愛する人を守るのです。
あなたが元気よく声をかければ、
それだけ愛する人を強力なエネルギーで包みこんでくれます。
『おかえりなさい』
外では様々な出来事が起こります。
ある程度、緊張もせざるをえません。
一方、我が家には、
安心、安全、休息、寛ぎがあります。
『おかえりなさい』には、
愛する人が無事に帰ってきたことへの喜びと、
感謝の気持ちがこめられているのです。
自分の帰りを、心から喜んでくれる家族は、
あなたにとって、かけがえのない宝物です。
by 葉祥明
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とある方のブログで紹介されていた詩。
とりかえしのつかない思いは いままでに山ほどしてきているのに
それでも、相変わらず 繰り返してしまう自分。
やなことがあったら、すぐに不機嫌になる自分。
天邪鬼で顔を見ると素直になれない自分。
他にもたくさん。
ほんとにね
この詩を読んで
改めて
言葉を大切に
気持ちを素直に
もし明日がなくても悔いのないように
今日の終わりに思うこと
『いってらっしゃい!』と人が言うとき、
それは、今日も思いきり、働き、学び、楽しんで、
そして無事に、この家に帰ってきてください、
という願いが込められているのです。
自宅の玄関で、駅で、空港で、
無事と安全を願って呼びかけられるその言葉は、
光りのエネルギーとなって愛する人を守るのです。
あなたが元気よく声をかければ、
それだけ愛する人を強力なエネルギーで包みこんでくれます。
『おかえりなさい』
外では様々な出来事が起こります。
ある程度、緊張もせざるをえません。
一方、我が家には、
安心、安全、休息、寛ぎがあります。
『おかえりなさい』には、
愛する人が無事に帰ってきたことへの喜びと、
感謝の気持ちがこめられているのです。
自分の帰りを、心から喜んでくれる家族は、
あなたにとって、かけがえのない宝物です。
by 葉祥明
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とある方のブログで紹介されていた詩。
とりかえしのつかない思いは いままでに山ほどしてきているのに
それでも、相変わらず 繰り返してしまう自分。
やなことがあったら、すぐに不機嫌になる自分。
天邪鬼で顔を見ると素直になれない自分。
他にもたくさん。
ほんとにね
この詩を読んで
改めて
言葉を大切に
気持ちを素直に
もし明日がなくても悔いのないように
今日の終わりに思うこと
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