2010年02月22日
子どもはおとなの育ての親 天野秀昭著
先日、とある講演で、
それは 子どもたちの生きる力を育てよう という主旨で
プレーパークの説明や 大人としての役割 そういった内容の講演でした。
講師の 天野秀昭さん という方 の 話から
いろいろなことを考えさせられました。
その中で
人間は根本的には
快・不快
で動いている。
不快は嫌だという気持ちが、命を守っているということ。
たとえとして、
地球温暖化の問題、わかっているなら、エアコンなんて、全部やめてしまえばいいのに
それができないのはエアコンがないと 人は不快であるということを知っているから。
だけど、大人は子どもに対して 自分の正に従わせようとしているということ。
人は誰でも 自分の命を握っているのが誰かを知っているから、その人に望まれるような自分になろうとしている。
虐待を受けた子達は、自分がもっとちゃんとしていれば とか 自分が悪いから と自分をまず責めるとのこと。
自分自身がここにいていいんだ
自分が自分の人生の主役なんだ
大人が おまえはおまえだといってやらなければ、主体性がなくなってしまう。
・・・・・
聞くこと全てが 耳の痛いことばかり。
自由に生きたい
そう思っていたのだけれども 実のところ
自分1人だけでは 自由になれなかった
人も自由であってほしい
そうであって はじめて 自分が 自由だと 感じた
天野さんは そうおっしゃっていました。
プレイパークをして、
自分も楽しみ それを見た 周りも 楽しくなる。
そんな経験も とのこと。
今、自分が抱えている問題も そう。
解決もしていないし、答えも、見えていない。
だけど、
”自分が自分であり、
自分に素直であり
自分を好きになる”
今 このときは これでいいのかもしれないとも 思う。
こうして、この講演を聴きに行こうと思った自分が好き。

”もともと命は生きる力にあふれている”
みなが、今日の天気のように 晴れやかに過ごせるように。
それは 子どもたちの生きる力を育てよう という主旨で
プレーパークの説明や 大人としての役割 そういった内容の講演でした。
講師の 天野秀昭さん という方 の 話から
いろいろなことを考えさせられました。
その中で
人間は根本的には
快・不快
で動いている。
不快は嫌だという気持ちが、命を守っているということ。
たとえとして、
地球温暖化の問題、わかっているなら、エアコンなんて、全部やめてしまえばいいのに
それができないのはエアコンがないと 人は不快であるということを知っているから。
だけど、大人は子どもに対して 自分の正に従わせようとしているということ。
人は誰でも 自分の命を握っているのが誰かを知っているから、その人に望まれるような自分になろうとしている。
虐待を受けた子達は、自分がもっとちゃんとしていれば とか 自分が悪いから と自分をまず責めるとのこと。
自分自身がここにいていいんだ
自分が自分の人生の主役なんだ
大人が おまえはおまえだといってやらなければ、主体性がなくなってしまう。
・・・・・
聞くこと全てが 耳の痛いことばかり。
自由に生きたい
そう思っていたのだけれども 実のところ
自分1人だけでは 自由になれなかった
人も自由であってほしい
そうであって はじめて 自分が 自由だと 感じた
天野さんは そうおっしゃっていました。
プレイパークをして、
自分も楽しみ それを見た 周りも 楽しくなる。
そんな経験も とのこと。
今、自分が抱えている問題も そう。
解決もしていないし、答えも、見えていない。
だけど、
”自分が自分であり、
自分に素直であり
自分を好きになる”
今 このときは これでいいのかもしれないとも 思う。
こうして、この講演を聴きに行こうと思った自分が好き。

”もともと命は生きる力にあふれている”
みなが、今日の天気のように 晴れやかに過ごせるように。