2010年12月05日
今月の言葉
もうはや師走。
師も走る あわただしい12月です。
今年も一ヶ月を切りました。
で、今月の言葉

かいさま・・反対・逆
と、書かれてあるのだけれども、この言葉も、私、まったく使ったこともないし、聞いたこともありません。
やっぱ、地域的なものがあるのでしょうか。
私が言ったり聞いたりするのは、”さかさま” ”へこさか” 。
この一年、まったく知らない讃岐の方言もあったけれど、愛着のある方言も多々あって、
愛着のある方言は、亡き母に通じるものがあって、その言葉を目にするたびに、母の声を思い出し、そんな風に言われたときの事を思い出し、涙が出そうなときもあり、懐かしい思いになるときもあり、の、毎日でした。
このカレンダーの字は、あったかい。
今月、子供がずっと習ってきた習字に一区切りをつけてきました。
おおかた、10年になるでしょうか。
書くこと好きで、いろいろと、話をしてくれていたのだけれども・・・。
私は、このまま続けて、将来の生活の糧となりうるようになればいいと思っていたのだけれども、
子供は子供の思いがあるようで、
また、周囲のいろいろな軋轢も少なからず影響しているようで、
書きたいけど書けないということもあるようで、
本当に書くことだけ考えることができる状況ではなかったということが、かわいそうにも思ってしまいます。
やけど、一年後、進学したのち(合格すればの話だけど)、あるいは、数年先、落ち着いたとき、また、そこから、
よく、考えればいいかな。
こないだ、病院の待合室で、週刊誌を読んでいたら、”渡る世間は鬼ばかり”の記事がありました。
今のTVのシリーズで終わりになるそうですね。おおかた、20年も続いているのだそうです。
私が、TVでみてたのは、一番最初の頃、まだ、結婚する前、実家でいたころです。
泉ピン子さんは、赤木春恵さんのいびりにもよく何も言わずにこらえているなあと感じていたものです。
とてもはがましくみていたのですが、今は、ちょっと違う。
だって、この世は、理不尽なことだらけですもん。それから、みんな、それぞれに、それぞれの考えを持っているし、価値観も違うということ。だから、軋轢は起きて当然。結局は、自分の、心持ち次第ということなのかなあと感じています。
で、何が言いたかったかというと、子供が、何年か先、落ち着いたときに、また、再開するといいなあということ。
で、このカレンダーの字のように、のびのびと、自分の思いを表現できるといいのになあということ。
何かを始めるときにもエネルギーはいるけれど、
一つ終わりにしようとするときにもエネルギーがかかるものだなあと思います。
というわけで、とっても疲れた一日でした。
師も走る あわただしい12月です。
今年も一ヶ月を切りました。
で、今月の言葉

かいさま・・反対・逆
と、書かれてあるのだけれども、この言葉も、私、まったく使ったこともないし、聞いたこともありません。
やっぱ、地域的なものがあるのでしょうか。
私が言ったり聞いたりするのは、”さかさま” ”へこさか” 。
この一年、まったく知らない讃岐の方言もあったけれど、愛着のある方言も多々あって、
愛着のある方言は、亡き母に通じるものがあって、その言葉を目にするたびに、母の声を思い出し、そんな風に言われたときの事を思い出し、涙が出そうなときもあり、懐かしい思いになるときもあり、の、毎日でした。
このカレンダーの字は、あったかい。
今月、子供がずっと習ってきた習字に一区切りをつけてきました。
おおかた、10年になるでしょうか。
書くこと好きで、いろいろと、話をしてくれていたのだけれども・・・。
私は、このまま続けて、将来の生活の糧となりうるようになればいいと思っていたのだけれども、
子供は子供の思いがあるようで、
また、周囲のいろいろな軋轢も少なからず影響しているようで、
書きたいけど書けないということもあるようで、
本当に書くことだけ考えることができる状況ではなかったということが、かわいそうにも思ってしまいます。
やけど、一年後、進学したのち(合格すればの話だけど)、あるいは、数年先、落ち着いたとき、また、そこから、
よく、考えればいいかな。
こないだ、病院の待合室で、週刊誌を読んでいたら、”渡る世間は鬼ばかり”の記事がありました。
今のTVのシリーズで終わりになるそうですね。おおかた、20年も続いているのだそうです。
私が、TVでみてたのは、一番最初の頃、まだ、結婚する前、実家でいたころです。
泉ピン子さんは、赤木春恵さんのいびりにもよく何も言わずにこらえているなあと感じていたものです。
とてもはがましくみていたのですが、今は、ちょっと違う。
だって、この世は、理不尽なことだらけですもん。それから、みんな、それぞれに、それぞれの考えを持っているし、価値観も違うということ。だから、軋轢は起きて当然。結局は、自分の、心持ち次第ということなのかなあと感じています。
で、何が言いたかったかというと、子供が、何年か先、落ち着いたときに、また、再開するといいなあということ。
で、このカレンダーの字のように、のびのびと、自分の思いを表現できるといいのになあということ。
何かを始めるときにもエネルギーはいるけれど、
一つ終わりにしようとするときにもエネルギーがかかるものだなあと思います。
というわけで、とっても疲れた一日でした。