2010年01月20日
幸せはいつも自分の心がきめる
先日、mixiのコミュ
幸せはいつも自分の心がきめる
というのを教えてもらいました。
まあ、こんなにたくさんの人がいろいろなことを考えているのやなあと。
みんなきっと心のよりどころやなにかを求めているのですね。
人間年をとるにつれて赤ちゃんのようになっていくといいますが、
年寄りに対しても赤ちゃんのようなおおらかな気持ちで接することが出来れば
いうことないのですが、
なにぶん、赤ちゃんに近づくとはいえ、口だけは達者なものですから
ときどき、カツンとくることもあって
それが実の親だとなおさら
過去の記憶を思い出したりして
ムッとすることもあって
今日、帰ってから、振り返ってみて
ちょっと悪かったかなあ
と反省したりしているのですが
一日の最後に
このコミュを覗いてみると
なんだかほっとするようです。
広い世界の中で
こんなにも多くの人たちが
今日の小さな幸せを探していたり
気づきを求めていたり
しているのですね。
幸せの反対の言葉ってないそうです。
「上から見ても、下から見ても「幸」は変わらず「幸」でしょ?
幸せって、逆さになっても転んでも、どうやったって変わらずに、いまここにあるものなんです。
人生の「当たり」は、「前」にあるんです。だから「当たり前」。 」
「幸せは、なるものではなく感じるもの。 」
なるほど・・・・。
明日になれば そうもいっていられなくなるでしょうが
今だけでも。

母が遺したうさぎのお雛様。
母は、こんな手芸とか庭の手入れとか大好きで
実家には色々なものが遺されています。
いまだに心残りなのは、編みかけのセーターを棺に一緒に入れて焼いてしまったこと。
あれは、私に編んでくれていたものだったのに。
・・・・と、ぶつぶついっていると
娘が
あの世でばあちゃん編んでくれよるわ~
あれでよかったんやのに~
と。
そういえば、先程のコミュの中に
最後と分かっていたなら
というトピックもあって
後の祭りというけれど
最後と分かっていたら
やっておいただろうに
・・・そう思うんだけれど
なかなかできないもので。
自分で自分に困ってしまいます。
幸せはいつも自分の心がきめる
というのを教えてもらいました。
まあ、こんなにたくさんの人がいろいろなことを考えているのやなあと。
みんなきっと心のよりどころやなにかを求めているのですね。
人間年をとるにつれて赤ちゃんのようになっていくといいますが、
年寄りに対しても赤ちゃんのようなおおらかな気持ちで接することが出来れば
いうことないのですが、
なにぶん、赤ちゃんに近づくとはいえ、口だけは達者なものですから
ときどき、カツンとくることもあって
それが実の親だとなおさら
過去の記憶を思い出したりして
ムッとすることもあって
今日、帰ってから、振り返ってみて
ちょっと悪かったかなあ
と反省したりしているのですが
一日の最後に
このコミュを覗いてみると
なんだかほっとするようです。
広い世界の中で
こんなにも多くの人たちが
今日の小さな幸せを探していたり
気づきを求めていたり
しているのですね。
幸せの反対の言葉ってないそうです。
「上から見ても、下から見ても「幸」は変わらず「幸」でしょ?
幸せって、逆さになっても転んでも、どうやったって変わらずに、いまここにあるものなんです。
人生の「当たり」は、「前」にあるんです。だから「当たり前」。 」
「幸せは、なるものではなく感じるもの。 」
なるほど・・・・。
明日になれば そうもいっていられなくなるでしょうが
今だけでも。

母が遺したうさぎのお雛様。
母は、こんな手芸とか庭の手入れとか大好きで
実家には色々なものが遺されています。
いまだに心残りなのは、編みかけのセーターを棺に一緒に入れて焼いてしまったこと。
あれは、私に編んでくれていたものだったのに。
・・・・と、ぶつぶついっていると
娘が
あの世でばあちゃん編んでくれよるわ~
あれでよかったんやのに~
と。
そういえば、先程のコミュの中に
最後と分かっていたなら
というトピックもあって
後の祭りというけれど
最後と分かっていたら
やっておいただろうに
・・・そう思うんだけれど
なかなかできないもので。
自分で自分に困ってしまいます。
幸せはいつも自分の心が決める・・・
以前どこかで目にした言葉ですが
人間って、だめですね・・・忘れてしまっていました。
でも本当にその通り。感じる心なんですね。
今日という日に、再認識できたこと、ちょっとうれしかったです。
ありがとう^^
編みかけのセーターのこと・・・
ゆらゆらさんの気持ちをわかってくれて
素敵な言葉をかけてくれる・・・
いいお嬢さんですね。
お嬢さんの言われるとおり、今頃きれいに仕上がってますよ。
私の高校時代からのふる~いお友達で、10年以上東京で暮らして、結婚、離婚、紆余曲折、そして、仕事でもキャリアを重ねていた人がいます。
彼女は、事情あって、ご両親の介護のため、それまでのすべての生活に終止符を打って、爽やかに高松に帰ってきました。
お時間のあるとき、覗いてみてくださいね。
http://paltyyuria.exblog.jp/
>今日という日に、再認識できたこと、ちょっとうれしかったです。
お誕生日だったのですね。
おめでとうございます。
新たな気持ちで新しい年を前に進んでいきたいものですね^^
いつもありがとうございます。
ブログ覗かせてもらいました。
今はまだうまく言葉に出来ないのですが、
教えていただいてありがとう。