2010年10月23日
くじけないで 柴田トヨ
くじけないで 柴田トヨ著

待ってる時間に、本屋さんで見つけた本。
何気なく手に取ってみたのだけれども、
引き込まれてしまいました。
柴田トヨさんという方 99歳。
産経新聞の朝の詩に掲載された詩を集めたものだそうです。
選者の新川和江さん。
新川和江さんの詩も私好きです。
新川和江さんの”私を束ねないで”という詩。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私を束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
たばねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いつくかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私だけじゃない、こんな思いを抱えてる人いるんだと思ったこと。
私が感じてること、おかしくないんだと思ったこと。
新川和江さんが、柴田トヨさんの本の序文に書かれてあります。
”トヨさんのように生きていこう”
99歳というお年。
いろんなこと経てきた人生。
その人生に裏打ちされた言葉は、心にとても染み渡ります。
ひとつひとつの言葉、
飾り気のない率直な言葉は、す~っと心の中に入ってきます。
この詩集の中には、ご自身のお母さんのこと、書かれてあるのがいくつかあります。
その中の一つ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母
母の後を
風車を かざしながら
追いかけていく
風はやさしく
陽は暖かかった
振り向く母の笑顔に
安堵しながら
早く大人になって
孝行したいと
そう、思ったものだ
母の齢を とうに越して
今 私は
初夏の風に
吹かれている
若い母の声が聞こえる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほんとにそう。
時々、思い馳せる。
今の自分の年と同じ母のこと。
何を考えていたのかなあと。
もう、話すこともできないけれど、
トヨさんの詩のように
若い母の声、年老いた母の声、今でも耳に残ってる。
99歳になっても、母親の事、思うのだから、
今の私が、母の事、思うの、
悪くないよね
と、思ったこと。
柴田トヨさんのようには、まだまだなれないけれど、
それでも、
”トヨさんのように生きていきたい”
と、思う。

待ってる時間に、本屋さんで見つけた本。
何気なく手に取ってみたのだけれども、
引き込まれてしまいました。
柴田トヨさんという方 99歳。
産経新聞の朝の詩に掲載された詩を集めたものだそうです。
選者の新川和江さん。
新川和江さんの詩も私好きです。
新川和江さんの”私を束ねないで”という詩。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私を束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
たばねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いつくかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
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私だけじゃない、こんな思いを抱えてる人いるんだと思ったこと。
私が感じてること、おかしくないんだと思ったこと。
新川和江さんが、柴田トヨさんの本の序文に書かれてあります。
”トヨさんのように生きていこう”
99歳というお年。
いろんなこと経てきた人生。
その人生に裏打ちされた言葉は、心にとても染み渡ります。
ひとつひとつの言葉、
飾り気のない率直な言葉は、す~っと心の中に入ってきます。
この詩集の中には、ご自身のお母さんのこと、書かれてあるのがいくつかあります。
その中の一つ。
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母
母の後を
風車を かざしながら
追いかけていく
風はやさしく
陽は暖かかった
振り向く母の笑顔に
安堵しながら
早く大人になって
孝行したいと
そう、思ったものだ
母の齢を とうに越して
今 私は
初夏の風に
吹かれている
若い母の声が聞こえる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほんとにそう。
時々、思い馳せる。
今の自分の年と同じ母のこと。
何を考えていたのかなあと。
もう、話すこともできないけれど、
トヨさんの詩のように
若い母の声、年老いた母の声、今でも耳に残ってる。
99歳になっても、母親の事、思うのだから、
今の私が、母の事、思うの、
悪くないよね
と、思ったこと。
柴田トヨさんのようには、まだまだなれないけれど、
それでも、
”トヨさんのように生きていきたい”
と、思う。