2010年09月11日
嫌いな人は嫌いでいいじゃない
ど~しても、性格的に会わない人
その人の声を聞くだけで、胃が痛くなったり、
だけど、そんなに思う自分が悪い、至らない。
そんな風に思ってた。
自分が努力せないかんわ~とも言われた。
それは、逃げよるだけ~って。
万人全てに笑顔で付き合うことができれば、どんなにいいことか
何度もそんな風に思った。
だけど、最近、
嫌いな人は嫌いでいいじゃない
と、思うように。
こないだの講演の中で、
くさったりんごは、箱からとりださなくちゃなりません。
そうでないと、他にもうつるから。
だけど、そのくさったりんごが悪いわけじゃない。
同じ場所にいることで、お互いに不幸になるのが分かっているのであれば、
それぞれの場所に移すさなければならないでしょ。
という、くだりがありました。
誰が悪い。。。○○だから。。。○○のせいで。。。
そんな風に心がひねくれていくのであれば、
そっちのほうが、悲しいと思う。
嫌いな人をそうでないようにする努力をするということは、
くさったりんごを、腐る前のりんごにしようとすることかもしれない。
そう考えると、
なるべく、嫌いな人と関わらないようにすることは、
逃げていることには、ならないのではないかな。
やけど、こんなこと、いつまでも、考えているから、
同じ場所をぐるぐる廻っているのかもしれないな。
その人の声を聞くだけで、胃が痛くなったり、
だけど、そんなに思う自分が悪い、至らない。
そんな風に思ってた。
自分が努力せないかんわ~とも言われた。
それは、逃げよるだけ~って。
万人全てに笑顔で付き合うことができれば、どんなにいいことか
何度もそんな風に思った。
だけど、最近、
嫌いな人は嫌いでいいじゃない
と、思うように。
こないだの講演の中で、
くさったりんごは、箱からとりださなくちゃなりません。
そうでないと、他にもうつるから。
だけど、そのくさったりんごが悪いわけじゃない。
同じ場所にいることで、お互いに不幸になるのが分かっているのであれば、
それぞれの場所に移すさなければならないでしょ。
という、くだりがありました。
誰が悪い。。。○○だから。。。○○のせいで。。。
そんな風に心がひねくれていくのであれば、
そっちのほうが、悲しいと思う。
嫌いな人をそうでないようにする努力をするということは、
くさったりんごを、腐る前のりんごにしようとすることかもしれない。
そう考えると、
なるべく、嫌いな人と関わらないようにすることは、
逃げていることには、ならないのではないかな。
やけど、こんなこと、いつまでも、考えているから、
同じ場所をぐるぐる廻っているのかもしれないな。
そう多くはないけれど、
どうしても苦手な人とはかかわらないのが一番楽ですよね。
嫌な人のことを考えると、自分が、なんだか濁った心でいるようで、自分の未熟さをまざまざと見せ付けられているようで、ツライです。
そういう時は、相手のことを、ぽぉ~~ん!とできるだけ遠くに、お付き合い圏外…ってところまで放り投げて、意識の中に浮かんでこないようにします。
忘れていればいいのです。
忘れているうちに、何年も経って、風化してしまうことだってあるかもしれないし、、、
もしも、相手のほうから近づいてきたときには、
その場ではできるだけ心を込めて対応して、そしてまたぽぉ~ん…と放り投げるようにしています。
拘泥するといつまでも自己嫌悪に苛まれるので、「逃げる」のではなく、心から放すんです。
そして、周囲に、自分からその人のことを話題にせず、
その人のことを考えることに時間を費やさないことです。
「あの人が嫌いだ」と思い出したり考えたりするってことは、自分でその人を引き寄せているようなものですから。
そのうち、その人のことが嫌いだってことも忘れてしまいます。
これは、私の経験上、いちばんいい方法だと思っています。
苦手な人とも、とことん話し合えば、どこかに共鳴できるところを見つけられるはずだ…なんて思ったりした時期もあったけど、
限られた時間、優先順位ってものがあります。
もったいないもんね(^_^;)
とらわれたくないのに、とらわれてしまう。
したくないのに、してしまう。
人間していると、
いろいろなところで、矛盾を抱えてしまいますね~。