2010年08月17日
なんで学校行かないかんの?
”なんで学校行かないかんの?”
と、子供に聞かれた。
なんでやろ~。。
子供はがっこへ行くもんやと思っていたから、改めて考えてしまいました。
おまけに、亡き母の時代のことを思い出すと、贅沢な~と思ってもしまう訳で。
戦前戦後に学生であった母は、跡取りの兄が戦死したため、
高校も中退、勤めにでたと話していました。
時折、学校さえ行かしてくれていたら・・・・と、話すときもありました。
そんな時代もあったというのに、今の時代は、なんだか変。
私の中にある答え
”学校へいくのは当然”
”大学行くのに行っとかないかんから”
”学校でいろんなこと教えてもらうん面白い”
”友達とわいわいするの楽しい”
・・・・
果たして子供の心の中にある答えは、何だろう。
子供の今の状況も分からなくでもない。
世間的にみて出来る・賢い子ほど、先入観や差別意識を持っているように感じるときがある。
その中で、何とか、クリアしていこうと努力している子供に、なんとか、方法はないものかといつも考えている。
私のように年を重ねると、多少の言葉は、流れていくが、
思春期のお子様には、そこまでの心臓はあるまい。
毎日、神経をぴりぴりさせながら、学校へ行っているのを見ると、
どうしたものかと考えてしまう。
がっこの先生は、う~ん、いまいちだよね~。
やっぱり、自分で、どうにかするしかないと思う。
じゃ、どうすれば、えん??
あたしんちのおかあさんのように、おばさん根性に、なるしかない??
・・もうすぐ、夏休みも、終わってしまうねえ~
どうする??
とにかく、そのときそのとき、一生懸命考えて、
そのときに一番ベストだと思う方法を自分で選ぶしかないようにも思う。
だけど、一瞬の迷いで、逃げちゃだめ。
かっとならず、一呼吸おいて、よく考えて・・・
ほんとに、なんでがっこ行かないかんの?
と思うんなら、
がっこ行かずに、働くのもありかもしれない。
だけど、母は、そうなると、悲しいかもしれない。
社会の一般的な道からはずれるのを恐れてしまう。
母のエゴかもしれないけれど、母の中では、学校を卒業して、就職してと思ってしまう。
肩の力を抜いて、ふわっと、毎日が送れるといいのにね~。
と、子供に聞かれた。
なんでやろ~。。
子供はがっこへ行くもんやと思っていたから、改めて考えてしまいました。
おまけに、亡き母の時代のことを思い出すと、贅沢な~と思ってもしまう訳で。
戦前戦後に学生であった母は、跡取りの兄が戦死したため、
高校も中退、勤めにでたと話していました。
時折、学校さえ行かしてくれていたら・・・・と、話すときもありました。
そんな時代もあったというのに、今の時代は、なんだか変。
私の中にある答え
”学校へいくのは当然”
”大学行くのに行っとかないかんから”
”学校でいろんなこと教えてもらうん面白い”
”友達とわいわいするの楽しい”
・・・・
果たして子供の心の中にある答えは、何だろう。
子供の今の状況も分からなくでもない。
世間的にみて出来る・賢い子ほど、先入観や差別意識を持っているように感じるときがある。
その中で、何とか、クリアしていこうと努力している子供に、なんとか、方法はないものかといつも考えている。
私のように年を重ねると、多少の言葉は、流れていくが、
思春期のお子様には、そこまでの心臓はあるまい。
毎日、神経をぴりぴりさせながら、学校へ行っているのを見ると、
どうしたものかと考えてしまう。
がっこの先生は、う~ん、いまいちだよね~。
やっぱり、自分で、どうにかするしかないと思う。
じゃ、どうすれば、えん??
あたしんちのおかあさんのように、おばさん根性に、なるしかない??
・・もうすぐ、夏休みも、終わってしまうねえ~
どうする??
とにかく、そのときそのとき、一生懸命考えて、
そのときに一番ベストだと思う方法を自分で選ぶしかないようにも思う。
だけど、一瞬の迷いで、逃げちゃだめ。
かっとならず、一呼吸おいて、よく考えて・・・
ほんとに、なんでがっこ行かないかんの?
と思うんなら、
がっこ行かずに、働くのもありかもしれない。
だけど、母は、そうなると、悲しいかもしれない。
社会の一般的な道からはずれるのを恐れてしまう。
母のエゴかもしれないけれど、母の中では、学校を卒業して、就職してと思ってしまう。
肩の力を抜いて、ふわっと、毎日が送れるといいのにね~。
うむむ…。
確かに難しい質問デスよね…。
逆に子供さんに「じゃあなんでがっこ行かないかんと思う?」って聞いて、一緒に考えてみてもいいかもデスね~(^_^;)
私自身、不登校の経験もあるし、色々考えて通信制の高校を選んだので、周りにも学校について、色んな見方をしている人がいます☆
でも通信制で一緒に学んだ人たちの大多数は、結局は「学校を卒業すること」は社会で生きていく中で大切だってことは感じていたと思います。
別に学校に行かなくても、人間性に問題があるわけじゃないのに、社会の中で生きていくのは色々大変デスよね…。
望んでも行けなかった人がいるのも事実で、私の母は家庭の事情で高校に行きたかったのに行けなかったことを、今でも悲しそうに話すことがあります。
子供さんが、自分なりの答えを見つけられるといいデスね(*^-^*)
って、なんだか偉そうにすみません(;-ω-)ゞ
両親の何回もの入退院、介護保険の申請や買い物など、中々大変でした。それに急遽八月は感謝祭なるものを開催したので気ばかりあせってしまいました。
この暑さの中毎日が大変ですよね。
ゆらゆらさんもばてていませんか?自分のことや子供さんの事など大忙しの毎日でしょう。
(何で学校へ行くのか)という言葉も大昔私も母に聞いた記憶がありました。残念ながら答えは記憶に無いのですが、今思うとそれを探しに行く最低の時間又は期間だと思います。将来何をするにしても今のご時勢資格なり学力が必要ですよね。成りたいものやしたいことをするために最低の学習を習ったように思います。
今この歳になって思えることですが。
答えにはならないかも知れないですが、正直な気持ちです。
コメントありがとうございます。
学校が全てじゃないとは思うものの、それでも、学校というレールをそれずに居てほしいと思う、親の自分もすごく矛盾していると思います。
今、折れてしまって学校へ行けなくなったら、これから先、社会へ出たらもっと大変だと思うし、今、ここで、学生生活を全うできたなら、そこから、また、新たな道が開けるのではないかと思ったり。。。だけど、楽しい学生生活送ってほしいなとも思うし、あんまり、追い詰められて、こないだの小学校三年生の女の子のようになっても、いけないしとも思うし、ただ、今、できるのは、子供と、こんな風に思うと話すことだけ。
あとは、いちさんがいわれるように、自分なりの答えを見つけられるといいなとホントニ思います。このブログ、子供も読んでいるので、いちさんのコメントも、きっと、何か思うことあると思う。
どうもありがとう。
お久しぶりです。
ころちゃんさんも、いろいろ、大変だったようですね。
まだまだ、暑い日が続きますが、
また、お会いできるとき。。楽しみにしています。
ほんとに、子供のことでは、いろいろと、悩みが絶えません。
ころちゃんさんがいわれるように、何かを探す時間なのかもしれませんね。
いつも、どうも、ありがとうございます。