2010年08月08日

全ての山に登りなさい

いつだったか

”全ての山に登りなさい”

”全てのわき道を歩きなさい”

という言葉を教えてくれた人がいました。

7月8月と、どうなることかと思っていたのですが、
一つ一つこなしていくうちに、
いつの間にか、すべきことの、半分が終わっていました。

目の前のこと、一生懸命こなしていくことで、
いつの間にか、ここまで来ていたの??って感じでしょうか。

声をかけていただいた方々。
協力してくれた家族。
ほんとに、感謝しています。

自分が歩くことによって、
他の人の何かの役に立ち(そうであると思いたい)
また、それが、自分にかえってきて、
その繰り返しが、また、自分を先に進ませてくれているような気がします。

解決しなければいけない問題は、
まだまだ山ほどありますが、
それでも、
自分で考え、自分で歩いていくということは、
少なからず、自分の小さな自信の一つとなり、
ちょっとしたことでは、
ぐらつかない確固たる何かが自分の中に
生まれて来たような気がします。

外に出て、自分の思いを言葉に出し、
全て、そこから、はじまったことです。
新しい人に出会い、また、さらに出会った人たち。
自分の価値観もずいぶん変わりました。
だけど、出会った人たち、みんなに共通していること

みんな前を向いているということ。
自分のしていることが、どんなに困難であっても、自分の信念を持って進んでいること。
それも、楽しみを持ちながら。
人の話をよく聴くこと。

分野はそれぞれに違うけれども、
本質的なところは、同じ。

そういう人たちに出会えて、私は幸せだなと思います。

たまたま、また、子供に釣られて、
観月ありさのサザエさんみていたのだけれども、

人生、
気持ち的にゆとりを持って
楽しみを持って、
過ごしていくこと
大切ですね。

自分がいっぱいいっぱいだと
まわりをみまわす余裕もない。
どんなに忙しくても
どんなにいっぱいになっても
常に心のどこかは
開けておかなければならないな
と思います。
そのゆとりが、そのまま、自分の芯のひとつになっているようにも思います。

親が
家庭が
そうであれば
子供もおおらかに育つのではと思います。

最近の幼児虐待のニュースを耳にするたびに
いろいろと考えさせられます。
私は、母や兄の死がきっかけとなり、自分を見つめなおすことができました。
もし、そのきっかけがなければ、
何の疑問もなく、従来の生活を送っていたことでしょう。
子供に対しても、子供を押さえつけ
こうしなければならないのが当然と、自分の思い通りに
一歩間違えれば、幼児虐待といってもおかしくなかったかなと思うときもあります。

どんな人でも、この世に生まれたという
何かの意味があると思う。

だけど、自分の生まれてきた意味って
分からない。
最期の時がきても、きっと、分からないと思う。
だけど、私の今の願いは
きっとこのブログを読むであろうわが子へ
母も迷いながらもわき道を歩き、山を登っているということ
それを見て、自分の生き方を見つけてほしいということ。
その思いを伝えることができれば、
それでいいと今は思ってる。

いろいろ思うことがあって、
こうやって、文章にすることで、
自分の気持ち 整理しています。

・・半分終わったといっても、まだまだ、これから、気は抜けません。
今までの整理をして、また、新たな気持ちで、歩いていきましょう。










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Posted by めるちゃん  at 23:50 │Comments(0)日々徒然

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