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Posted by あしたさぬき.JP  at 

2011年03月29日

自転車道の工事

久しぶりに高松市内に。
番町あたりから西へ向いてずっと、自転車道の工事をしていました。
車道が減って、自転車道が新設されるようですね。
そういえば、商店街の中も段差ができて、自転車と歩行者分離っぽくされていますね。
ときどき、段差で足をひねりそうになる私ですが・・・。

やけど、自転車道って、ほんまに、必要なんかなあ〜
と、通りながら思ってしまいました。

だって、20年前も今も自転車の数、人口も増えてないし、
そんなに変わってないと思うんですが、
昔、学生時代、自転車でとおっていたときも、徒歩でとおっていたときも
さほど、気にならなかったのですが。
たまに、歩行者が歩道いっぱい歩いてたり
自転車がスピードだして追い越していったり
はっとするときもありましたが、
そんなもんやと思ってましたから。
また、後ろから来るなあと気配を感じたら、横へよるなり止まるなりしてましたし。
今みたいに、イヤホンで音楽聴きながら通行する人もほとんどいませんでしたね。
だけど、事故が起こることを考えれば、自転車道も必要なのかもしれませんが。

昔、子供が小さかった頃、姑が、
1つのものを二人がとりあうようではいかん
せらう子になってしまう
と、おもちゃとかの場合、同じものをそれぞれに与えておりました。
たぶん、戦中戦後のモノのない時代をすごしてきたから
自分が経てきた思いを孫にはさせたくないという思いがあったのだと思います。
だけど、それは、別の見方をすると
1つしかなければ、順番で とか 誰かと共有する とか 
というように相手の事を思いやる芽が伸びるのを
少しだけ妨げたのでは思うこともあります。
ただ、それぞれの、愛情からなせる行動ですから、
何が正しくて正しくないかは、すぐには分かりません。

なんで、こんなことを思い出したかというと、
もしかしたら、歩道と自転車道を分けるということ。
これにも、同じことが言えるのではないかと思ったから。

計画停電で、東京の街の明かりが省エネしてます。
TVで、今まで、東京は明るすぎた、まだまだ、明るすぎるかも
という人の話も流れていました。
昔は、蛍の光 窓の雪 っていう歌もあるくらいだったのにね。

東北の大震災から、以前にまして、
日々の生活を見つめなおすようになりました。

日本は、戦後、価値観が変わって、よくなった面もあるけれども、
日本古来の、一本筋の通った物事の見方が
なんだか失われてきたのかなあと思います。
私は、まだ、戦前産まれの親に育てられた口ですから、
そのモノのなかった時の話やらなんやら
話の合間に聞いて知識としてだけですが、頭の中に残っています。
鼻水がでても、紙がないから、新聞紙をもんでかんでたとか。
実際、母は、ティッシュもきれいに二つに折って、
一回鼻をかんでもまたきれいに折って、ポケットに入れて
一枚のティッシュで何回か使ってましたもん。
ほんとに、限られたものを上手に何通りにもして使っていたと思います。

やけど、子供は違う。
産まれたときから、身の回りになんでもある
そんな生活が当たり前で育っています。

この機会に、私が親から見聞きしたこと
自分の子供にも伝えていきたいと思います。

まあ、車を運転していると、いろんなこと考えてしまいます。




  


Posted by めるちゃん  at 22:45Comments(2)日々徒然